日記 紹介記事 統合失調症

統合失調症になったわたしの、発症から回復までの記録を公開【前編】

「統合失調症ってどんな病気?」
「名前は聞いたことあるけど、実際のところ良くわからない」

そんな方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか?

わたしは、8年前に、統合失調症になりました。

自分が統合失調症のことをブログに書くか悩んだのですが、統合失調症についての記事が医学的なものしかなく、わかりにくかったので、赤裸々に書いていこうと決めました。

長いので、前編と後編にわけています。

自分が鬱かな?と思っている方、パニック障害がある方、統合失調症と診断された方、また、周りに、そういった症状の方がいるという方に、読んで頂ければと思います。

Contents

はじめに

「声が聞こえる…」
「何かが見える」

時計の音も、何かの、意味がある感じがしたり、壁の模様も絵が書いてあるように見える…8年前に、わたしに起きた現象です。

皆さんは、「統合失調症」という病気をご存知ですか?

わたしは、この8年間、その病気と共に暮らし、共に生活しています。

今も、薬を飲んでいるし、この薬は、症状を良くするのではなく、再発を防ぐ為に飲むものと伝えられ、今も飲み続けています。

 

もう、生活に支障は無いくらいまで回復し、今もこうやって、ブログを書いています。

今回は、統合失調症について、少しお話しをさせて下さい。

まず初めに、この病気は、誰にでも起こる可能性のある病気です。

現在100人に1人とされる病気で、10代から40代くらいが発症しやすい病気です。

 

発症の原因は様々で症状も様々です。
ですので、これが原因とか、この症状があるから統合失調症だという訳でもありません。

あくまで、わたしの体験として、そして今、この病気と闘っておられる方を勇気づけれたら…と思い書いています。

この病気は、誰も悪く無い病気です。

精神力が弱いとか、考え方の問題とか、そんなものでもありません。

だから、自分を責めなくていいですよ。

本人だけではなく、関係者、周りの友人も誰も責任を感じなくて大丈夫です。

また、しっかり病気と向き合っていけば、必ず良くなっていきます。

だから、一緒に頑張っていきましょう。

普通の生活が突然変わった

当時25歳。
銀座8丁目で、ホステスの仕事をし始めて、一年くらい経ってました。

もともと、絵を描くのが好くのと占いが好きでスピリチュアルな、想像力の豊かな、普通の女の子でした。

ただ、生まれつき、足の指に先天性の障害をもっており、小さな頃から入院や手術の日々が続き、その度に、

「自分は強くならないと」
「自分が周りを幸せにしたい」

という気持ちが幼少期から強くありました。

元々、絵を描く為に東京に来たのですが、夜の仕事で稼げるお金で、「周りに楽をさせてあげれる」=「周りを幸せにできる」とこの時のわたしは考えていて、毎日仕事に出ていました。

とても緊張してしまう性格で、仕事はお酒を飲まないと、あまり上手に喋れません。

そして、飲むと性格が変わったかの様に、ペラペラ喋ってしまうところがあり、

いつも朝方まで飲んで、酔い潰れて家に帰り、そのまま就寝し、また夕方起きるといった生活パターンが1年以上続いていました。

お客様をあまり多くもっていなかったわたしは、お姉さん(お店の先輩)のお客様のヘルプになる事が多く、とても気を使っていました。

なんせ、お客様にも楽しんで貰わなければいけない、お姉さんにも、愛想を振りまかないといけない…そんな状態をずっと続けていました。

そんなある日、ふと、声が聞こえてきました。

わたしは、スピリチュアルが好きだったこともあり、

「わたしに、能力がついた」

そんな気分になってしまったのです。
そして、それは楽しくて仕方ありませんでした。
わたしは、ずっと喋り続けたんです。

周りがおかしいと感じはじめた

仕事に行く前から、お風呂で会話したり、髪を解かしながら会話したり、わたしはすごい能力を手に入れたと思いました。

そして、それをノートにとって、メモして、すぐに親友のKEIに伝えようと思ったんです。

電話が繋がり、わたしがしゃべっている最中も、黙ってKEIはうん、うん、と聞いてくれました。

わたしは「すごいなぁ~」と言われると思っていたのですが、その返信はとてもあっさりしたものでした。

「なに、言ってんのか、よくわからない。」

なんで、伝わらないんだろう…
この時、わたしはそればかり考えてました。

そして、仕事も休み、3日間、寝ずに家で1人で喋り続けました。

そして、それをKEIや、他の友達に何度も話し続けました。

地元では、「わたしから電話があった」「なんか、訳わからないことを話してた」=「薬物しているんじゃないか」

という話しになっており、わたしが、病気になっていることは、わたし自身も、周りも全く考えもしませんでした。

ただ、わたしが「おかしい」という事は明らかでした。

警察に行き、病気が発覚する

3日間寝ずに、その日の夜、わたしは六本木の町に出ました。

そして、銀座の前に、働いていたお店に行き、自分の状況を説明すると、酔っ払いだと思った店長は、わたしをタクシーに乗せ、帰らせようとしました。

ですが、わたしは帰らずにタクシーで色んな所へ行きました。

そしてメーターが上がっていくのを気にせずに乗っていると、結局どこに行くのか、訳のわからない事を言っていたわたしは、警察に連れて行かれたのです。

そのまま、警察で話をして、心理カウンセラーのような人たちと話した結果、病院に送られる事となりました。

そして、救急車で運ばれている最中も、わたしは

「これから新しい世界に行くんだ」

と、恐怖心は全くありませんでした。

ただ、激しく興奮して大声で叫んでみたり、逆に周囲からの刺激にまったく、反応しなくなったりします(緊張病症候群)

また、目的のない運動や無意味な言葉を繰り返す常同症や、芝居じみた挨拶や奇妙な身振りをする衒奇症(げんきしょう)、

最初にとらされた姿勢をそのまま保ち続けようとするカタレプシーがみられることもありました。

これが、わたしに起きた統合失調症の陽性症状です。

連れて行かれた病院は廃墟の様な隔離施設だった。

病院は自分の「新しい世界」とは真逆の様な、汚い、暗い場所で、気づいたらわたしは、手と足を縛られて、ベッドにいました。

大声を出しても、誰も来ません。

そして、数分経ったあと、看護婦さんがきて、ポカリスエットをわたしの口に含ませます。

そして、また出ていきました。

正直、ここでの記憶は壮絶過ぎて、あまり上手に書けないです。

ただ、医療関係者の方が見られたら、あまり良くない表現なのかもしれませんが、病院はしっかり選んだ方がいいです。

わたしは、最初に連れて行かれた病院では、ここまで、立ち直ることは絶対に不可能だったと断言できます。

何ヶ月か何週間か経ってから、面会も出来ない事を両親が不審に感じ、裁判をし、病院から出ることになります。

そして、お正月。
地元、京都の実家に帰ったのです。

周りが驚く変わりよう…

わたしは、50キロあった体重が、40キロまで落ち、随分と痩せていました。

両親は、ずっとわたしに寄り添い話を聞いてくれますが、わたしの言っている事はめちゃくちゃで理解できる訳ありません。

友人も、心配して来てくれますが、宇宙語という言葉で話したり、急にテンションの上がるわたしに驚き、言葉が出ていませんでした。

やっぱり家では治せないと思った両親は、病院を必死に探してくれました。

そして、わたしを、新しい病院に連れて行ってくれました。

新しい病院は、とても綺麗で、わたしのような症状に特化した病院でした。

そこで、わたしはまた入院生活を始めることになります。

陽性症状から陰性症状へ

こちらの病院でも、最初は隔離病棟でした。
トイレと、お布団だけある何もない部屋です。

ですが、縛られていた訳ではありません。

男性患者も多いことから、まだわたしの精神が安定していない事などから、そこで過ごすことになりました。

薬を決まった時間に飲まされ、その後、何もない部屋でただ寝るだけ、歌を歌うだけの生活がどれくらい続いたのかわかりませんが、

次第に高かったテンションとは逆に感情が何もないような症状にかわってきました。

鬱のような症状です。

何もやる気が起きず、ただ、ぼーっとしているだけです。

誰かと話すのも、億劫になり、誰とも喋りません。

そんな時、病院内での、ケアサービスのようなものに、週に1.2回行くことになりました。

ケアサービスで自分の好きな事に没頭する

ケアサービス(遊び)の時間は、わたしにとってそんな楽しいものではありませんでした。

認知症や脳の病気のおじいさん、おばあさん達の中で、若いのはわたし1人です。

その中で、カラオケをしたり、ボール遊びをしたり、映画を観たり、何も楽しくありません。

ただ、「ボス」と呼ばれる40代くらいのケアサービスの職員さんは、わたしと普通に接してくれる唯一の方だったので、話すのが楽しみでした。

そんなボスに「何か絵を描いてくれんか?」と言われ、書いたのですが、ボスがそれを医療雑誌に応募してくれた事により、

後に、その絵が表紙に採用されることになりました。

実際に後から5万円程入ってきたので、ボスには本当に感謝です。笑

そして、統合失調症の方でも、仕事の方法はいくらでもある事を身をもって体験している現在、皆さんにそういった情報も伝えられたら…と思っています。

話は戻りますが、わたしの状態は、陽性症状や陰性症状を繰り返していました。

徐々に回復というか、いわいる、普通の状態になってきたのは薬で、感情も無く、ただボーっと生きていたからだと思います。

ですが、ここで、今になって思うことは、この普通の状態を演技でも出来れば、症状は良くなったんだと認知されるということです。

それが、今まで、出来なかったから、わたしは病気だったんだとこの時くらいから、感じるようになりました。

仮退院と後遺症

隔離病棟に居たわたしが、1週間に2.3日づつくらいで、仮退院出来るまでになりました。

発症してから、約1年くらいです。

家に帰ると、今までなら、過剰にテンションが上がっていたわたしが、

何もする気が起きない…状態が続いていました。

そんな中、仮退院中にKEIがバーベキューに誘ってくれました。

久しぶりに皆で会えるバーベキュー。
とっても楽しみなはずなのに、久しぶりに化粧をしようとしても、手が震えて、コンタクトもつけれませんでした。

それから、KEIが迎えに来てくれて、バーベキューに向かうのですが、

出会った皆はとても優しく、そしてそれが、わたしにとってはとても、よそよそしい感じがしていました。

バーベキューを取り分けてくれても、手が震え過ぎて、上手く食べられない。

皆で話しされると内容が理解出来ない。

記憶力がなく、すぐに忘れてしまう。

こういった後遺症は統合失調症で良くみられます。

ですが、安心してください。
わたしは今、8年経って、完璧ではないものの、震えは大分マシになり、

記憶力は元々あまり良く無かったせいか、生活するのに支障は無いレベルです。

また、この時期は子供に戻ったかのような症状も見られました。

もぅ、26歳なのに、髪を2つに結んだり、とても子供っぽくなることもあります。

ですが、あえて何も口出ししない事で、段々と意識は戻ってきます。

ネガティブや不安な状態が続く

ネガティブや不安な状態は、続く事はあります。

でも、ここで無理に、そんな自分はダメだなんて、思う必要ないんです。

もっと自分のダメなところ、さらけだしていいんですよ。

何故なら今までのわたしは、ただ

「頑張り過ぎていただけだから。」

だから、もっと楽になって、もっと楽に考えて大丈夫です。

統合失調症になるわたしも含めて、今なっているあなたは、

「頑張り屋さん」なんです。

だから、今はゆっくり休んでいいんですよ。

 

統合失調症になったわたしの、発症から回復までの記録を公開【後編】

 

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